非対称コミュニケーション

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コミュニケーションが合理化されていくと一対多の非対称になっていく。
そもそもコミュニケーションというのは双方向で情報を伝達するものだけど、
効率化によってそれぞれの位置は対等な関係から離れていく。
一人の対価を受け取り情報を主に発信する側と、
多数の対価を払い情報を主に受け取る側の人間に分かれる。
ネットの匿名文化勢力と馴れ合い忌避の傾向は、
コミュニケーションに参加するメンバー全員に対等な匿名性を要求するわけではないように思える。
対価を受け取る側、ある意味仕事でその場に参加している者には匿名性も対等な関係も要求しない。
しかし対価を払っている圧倒的多数の受信側には馴れ合いを禁ずる。
それは役割分担がはっきりしているからだ。
受信側は総体的により良いコミュニケーション消費を行うために、
他の受信者に不快な感情を与えないようなシステムになる。
受信側の立場にありながら己の利だけを考えた馴れ合い的行動は抑制される。
非対称コミュニケーションにおいて受信者となるか発信者となるかは
その文脈、時と場合によって変わってくる。
発信者として価値を受け取り、その価値を消費して受信者になるという循環が生まれる。
なぜ非対称コミュニケーションが合理的なのか。
面白い話、ためになる話は1人に聞いてもらうより2人、
2人より3人と増えるほどに総体的なメリットが向上するからである。
総体的なメリットが向上するということは、それだけ対価を話者に還元できるということである。
資本主義の世の中では当然その流れは加速する。
合理的とは効率的ということ、効率的ということは格差を拡大することであり、
コミュニケーションという側面においても、持つ者と持たざる者の間は広がるということだと思う。

コメント(2)

wiz@_( (_´Д`)_ :

送信者と受信者が、ある時間帯ではっきりと別れると、communicateじゃなくてbroadcastになる希ガス('A`)

面白い話は多くの人が聞いたほうが利があるけど、だからといって多くの人を集めるために、
話を面白くしようと捏造しているのが最近の送信者だから困る。

_( (_´Д`)_ つー感じで、2月度の更新マダァ?

yuch :

なんらかの形で受信側の感情やら感想やらが送信側に返ってくればコミュニケーションと言っていいと思うけど。

>話を面白くしようと捏造しているのが最近の送信者だから困る。

これは安易に乗っかってしまう受信側にも問題があるね。
面白ければ何でもいい、ていう風潮は俺も好きじゃないけど。

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このページは、yuchが2008年1月30日 20:23に書いたブログ記事です。

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