斜陽

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はぁ。
以下、太宰治「斜陽」より引用。



人間は、嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているものである。
この頃の、指導者たちの、あの、まじめさ。ぷ!


人から尊敬されようと思わぬ人たちと遊びたい。
けれども、そんないい人たちは、僕と遊んでくれやしない。


僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。
僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。
僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。
僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。
僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。
僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。
けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、
人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。
どうも、くいちがう。

待つ。ああ、人間の生活には喜んだり怒ったり悲しんだり憎んだり、 いろいろの感情があるけれども、けれどもそれは人間の生活のほんの1パーセントを 占めているだけの感情で、あとの99パーセントは、ただ待って暮しているのではないでしょうか。 幸福の足音が、廊下に聞えるのを今か今かと胸のつぶれる思いで待って、からっぽ。 ああ、人間の生活って、あんまりみじめ。 生れて来ないほうがよかったとみんなが考えているこの現実。 そうして毎日、朝から晩まで、はかなく何かを待っている。 みじめすぎます。 生れて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます。
人間は、みな、同じものだ。 これは、いったい、思想でしょうか。 僕はこの不思議な言葉を発明したひとは、宗教家でも哲学者でも芸術家でも無いように思います。 民衆の酒場からわいて出た言葉です。 蛆がわくように、いつのまにやら、誰が言い出したともなく、もくもく湧いて出て、 全世界を覆い、世界を気まずいものにしました。 この不思議な言葉は、民主々義とも、またマルキシズムとも、全然無関係のものなのです。 それは、かならず、酒場に於いて醜男が美男子に向って投げつけた言葉です。 ただの、イライラです。嫉妬です。思想でも何でも、ありゃしないんです。 けれども、その酒場のやきもちの怒声が、へんに思想めいた顔つきをして民衆のあいだを練り歩き、 民主々義ともマルキシズムとも全然、無関係の言葉の筈なのに、いつのまにやら、 その政治思想や経済思想にからみつき、奇妙に下劣なあんばいにしてしまったのです。 メフィストだって、こんな無茶な方言を、思想とすりかえるなんて芸当は、 さすがに良心に恥じて、躊躇したかも知れません。
人間は、みな、同じものだ。 なんという卑屈な言葉であろう。 人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドも無く、 あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。 マルキシズムは、働く者の優位を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。 ただ、牛太郎だけがそれを言う。 「へへ、いくら気取ったって、同じ人間じゃねえか。」
なぜ、同じだと言うのか。 優れている、と言えないのか。 奴隷根性の復讐。 けれども、この言葉は、実に猥せつで、不気味で、ひとは互いにおびえ、 あらゆる思想が姦せられ、努力は嘲笑され、幸福は否定され、美貌はけがされ、 光栄は引きずりおろされ、所謂「世紀の不安」は、 この不思議な一語からはっしていると僕は思っているんです。
イヤな言葉だと思いながら、僕もやはりこの言葉に脅迫せられ、 おびえて震えて、何を仕様としてもてれくさく、絶えず不安で、ドキドキして身の置きどころが無く、 いっそ酒や麻薬の目まいに依って、つかのまの落ちつきを得たくて、 そうして、めちゃくちゃになりました。

コメント(4)

wiz :

ん~、要するに全部引用???

手抜きですみません。

太宰はかなり痛い人生歩んでますし、痛い思想を撒き散らしてますが、私はそういう痛さが好きです。
なんか最近の日本文化は痛さを悉く否定して、必死なのは格好悪いみたいな空気が漂っているように感じます。
この生ぬるい世の中では痛さが非現実的だからなのかもしれませんけど、妙に居心地が悪いです。
私はあまり必死なところはないですけど、必死に憧れてますから、それが否定されているのが気持ち悪いのです。

wiz :

まー宿題とかまじめにやると、なにがんばっちゃってるの?とかいった感じですな。
写すのがあたりまえだろ、みたいな。
それ以前に過去問とか存在しちゃいけないだろ。とかも思う訳だが。
そーいやゆとり教育後の学力調査で、学力向上が見られたとか新聞に書いてあったなぁ。
たまたまだろって思った。

まー、がんばるの嫌なんでNEETとか出るんじゃないかと。
レポートも宿題も写してばっかりだったらそうなるだろうなと。
仕事は写せませんから。
雇用主の方も労働者は物言う道具みたいに考えてる模様だしな。昔に逆戻り。

学校もそうかもしれませんね。
私が特に思うのは文学とか思想で、積極的に考える人達の間でさえ
必死さや痛さを否定する向きが強いと感じるところです。
まぁ需要と供給の関係ですかね。
求められないものは広まらないんで必然なのかな。

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このページは、yuchが2005年4月21日 22:26に書いたブログ記事です。

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