名前

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人は名前を付ける。
物や事象や概念その他諸々。

名は体を表すと言う。
それは名前が実体の見え方に影響し、
実体の見え方が名前の見え方に影響するという
フィードバックループによるところがあると思う。

名前を何のために付けるのか。
それはコミュニケーションの手段だ。
これを記号化と言う。
名前を使わずに、アレだよアレ、
とか言って情報伝達することも可能は可能だが難しい。

名前は実体を指している。
でもそれは一方向じゃあない。
実体も名前を指しているんだ。
正しくは実体の見え方が名前を指している。

それで名前と実体とは双方向に結ばれているように見えるので、
名前と実体は同じではないかと間違えてしまうことがある。

間違えてもいいこともある。
名前と実体の違いを無視することが有益なこともある。
でも違いの存在を忘れることは危険だ。

記号化。パターン。分類。レッテル。
境界。命名。定義。還元。

これはこういうものだ。
こうに違いない。
だって○○なんだから。

名前と実体を同一視するといろんなものが見えなくなる。
見えなくするために名前を使っているならいいのだけど。
名前を使うということである種の情報が大幅に欠落するということは
名前の存在する意味でもあるのだ。

思考の単純化。怠惰。
考えたくなければ考えなければいいさ。

例えば、「らしくない」とかね。
らしいってのはその人が持っている名前に対する知識だ。
らしくないってのはその知識が足りなかったことを示している。
なのにまるで対象が悪いかのような表現だとは思わないか。
明らかに観測者の方に問題がある。

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このページは、yuchが2005年3月27日 20:36に書いたブログ記事です。

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