思考の出力
コンピュータはデータを入力されると、処理してから出力する。
人間の思考活動も、入力、処理、出力と大まかに3つに分けられる。
入力活動には、
・本を読むこと
・TVを見ること
・他人の話を聞くこと
などがある。
目で見たり耳で聴いたりといった、感覚的な受動的な活動である。
出力活動には、
・文章を書くこと
・絵を描くこと
・他人に話すこと
などがある。
口で喋ったり手で書いたり、何かを表現したり作り出す、
といった能動的な活動である。
そして入力活動と出力活動の間を繋ぐのが処理活動である。
処理は脳で行われる。
入力された情報を元に、分解したり加工したり結合したりする。
そして、処理の結果新しく生まれた、再構築された情報を人は出力する。
私は入力、処理、出力がバランス良く行われることが望ましいと考えている。
もちろん最適なバランスなどわかるはずもないが、
入力しかしない、処理しかしない、では良くないと思う。
適度に入力し、適度に処理し、適度に出力したい。
人によってどの活動が難しいかは異なると思う。
私にとって断トツで難しいのは、出力だ。
本当に難しい。膨大なエネルギーを必要とする。
勝手な想像ではあるが、私以外の多くの人にとっても出力が難しいのではないだろうか。
出力がスムーズに行える人間は尊敬されるし、とても希少だ。
例え膨大なエネルギーを要したとしても、出力は行う価値のある活動である。
もちろん他の活動、入力と処理が出力より価値が劣っているというわけではない。
出力は能動的であるから、意識していないと疎かになりがちなのだ。
出力活動は精神的、技術的な成長を促すので、一個人として閉じていたとしても利益があるが、
他人との接触部分にあるという点で、他の活動にはない重要性がある。
自分を知ってもらいたい場合、自分を理解してもらいたい場合、
出力が必要になってくるからだ。
他者に見えるのは出力だけなのだ。
内部でどんな複雑な処理をしていても、それはわからない。
ヒトのココロはブラックボックスだ。
表現してくれなければ何も見えない。
出力ができる人間は所謂成功を収めるだろう。
人は自分以外の誰かに理解されたいという願望を抱く。
出力無くしてその望みを満すのは不可能だ。

blogを書く理由に引き続きの話かなっていう風に俺は捕らえた。
気持ちの中に強くあるんやろうなぁ。
実は俺の日記も同じ理由やねん。
別に露出狂でもないし、自慢しでもない。
頭で考えたことを出力するのはヘタやけど、処理もヘタ。入力もヘタやねん。
それの訓練のためにと始めたのがきっかけ。
基本的に三日坊主(自称)やからどれくらい続くのかっていう試しもついでに。
それがもうすぐ一年になろうとしている。
すごいことやわ。
それだけ、頭が回転するようになったと思う。
まだまだやけどね(笑)
でも、活力になったのは池田君も言ってくれた”日記見てるで”とか、”楽しみにしてる”って声を聞けたから。
もし孤独やったらどうやろうか。
分からん。
それでも分かったことが一つある。
人は支えられて、励ましあい生きているということ。
(あ、なんか論理的じゃないけどまぁえっか♪)
しんじさん、ちゃんと読んでくれてるよ~ていう感じで感動です。
フィードバックは本当に嬉しいです。
見てるよっていう合図だけでも力になりますね。