2007年11月アーカイブ

パブリックリレーションズ略してPRとは・・・Wikipediaで見てみたけどわけわからん。
一般的には広報と近い意味で使うけど、より双方向性とか戦略とかを意識した感じかな。

PRというのはズバリ戦略だと思います。
商品の価値を最大化するのが技術・製造の役割。
収益を最大化するのが営業・マーケティングの役割。
そして会社の価値を最大化するのがPR(広報)の役割ではないかと。

なんのためのコミュニケーション?なんのための関係づくり?
それは会社の存在価値を高め、社会的存在意義を高め、
消費者の中における会社の位置をより大きくより良くするためです。

企業はミッションつまりやりたいことから経営戦略とPRに落とし込み、
その後で事業と商品の企画設計がはじめるべきではないかと僕は思います。
でもPRの視点が後付になっている企業は多いと思います。
PR→事業の流れではなく、事業→PRの流れになっているということです。
そもそもPRなんて考えたこともありませんが何か?なところも中小では珍しくないと思う。
でもPRなしに計算で事業がうまく回るはずがない。

最近アイデアって実はあんまり重要じゃないんじゃないかと感じています。
それは普通アイデアが事業・商品を考えはじめるところだからであって、
どんなにいいアイデアであったとしても後付けのPRがしょぼかったら開花するわけがない。
少なくともアイデアを実体化する前までにはPR戦略は必須なのではないかと。
そんなことやらなくたっていろんなタイミングが絶妙に合えばうまく行きます。
でもタイミングが悪かったからうまくいかなかったなんて言い訳としてはかっこ悪すぎじゃありませんか。

自給自足化

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僕は自給自足という言葉が好きだ。
文字通りの意味で自給自足がしたいわけではないけど、
自分でできることは自分でやればいいし、
自分でできないことは自分でできるようになりたいと思う。
責任を独り占めしたい。

超理想論だけど、一人一人が全部自分で抱え込めば、
人間関係はもっとずっとすっきるするし、楽しくなると思う。
これは勘違いされそうな言い方だな、
悩みを共有するっていうのはとてもいいことだと思うんだ。
例えば困っていることを友達に相談する。
でも答えを出して決定するのは自分だし、
その責任は友達にはない。だからこういうのは全然いい。

金貸してくれって言って、いいよって渡したとする。
返さなかったらどっちが悪い?
ま返さない方が悪いと思うけど、この場合責任は貸した方にもある。
責任を共有するときに、契約だとかルールだとか金だとかややこしくなる。
人間関係が複雑になるっていうけど、要は楽しくなくなる。

だから僕は責任を個人の中に押し戻したい。
そうすれば別のものを共有する余裕が生まれる。
共有するのが楽しいことだってわかるようになるって思う。

責任を個人の中に押し込めることを僕は自給自足化と呼んでいる。
自給自足化を進めると、楽しくなるだけじゃなくて、強くもなれる。
どういうシステムが外界からの刺激に強いだろうか。
状況によってクライアントとサーバという役割が動的に生成されて、
相互には単なる通信だけじゃなくってその時々の通貨によって
タスクが売買されるようなシステムと、
通貨なんてない情報だけがただ共有されているシステム。

教育と労働 (1)

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人生の中でさ、教育と労働って基本的にはきっぱり分かれているじゃない。
20前後くらいまでは勉強勉強、それ以降は死ぬまで仕事仕事ってさ。
勉強と仕事ってもっとごちゃ混ぜになってた方がいいんじゃないかとつくづく思うんだけど。
最近英語と日本史をやってるんだけど、10代なころはくそつまらないと思ってたものが
なんかやたら面白くなっててびびる。でももっともっとやりたいのに時間が取れない。
ニコニコでNHKの番組とか見つつ、Wikipediaで気になる単語を調べてるとあっという間に1日終わる。
結局何がきっかけで興味を持つかなんてわからない。
でも興味があるときに吸収するのが一番効率がいい。
学生時代はそれなりにはまっていた理数工系の話は今全然興味がなくなっていたりする。
教育のすばらしさというのは労働を味わった上で知ることができるものだし、
逆に労働のすばらしさは教育あってのものだ。
なぜ、子供のころあんなに勉強する必要があったのかさっぱりわからないし、
なぜ今こんなに勉強する時間が取れないのかわからん、こんなシステムつまんない。

たぶんつづく。

OpenSocial

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GoogleのOpenSocialは、複数のSNS上で動作する
アプリケーションを開発するためのAPIを提供する。
これはWeb版Javaみたいなものだ。
そして仮想マシンにあたる中間レイヤーをGoogleが管理しますと。

OpenSocialの戦略を見ると、Googleはメディアをやりたいわけじゃない、
ということがはっきりわかると思う。
メディアというのはどーんと構えて存在感を示していて
なんか封建的なものを感じさせる。Yahooなんかは正にそうだ。

ところがGoogleがなろうとしているものは、空気のようなものだ。
極力存在を感じさせない。けどないと生きていけないもの。
これこそGoogleの賢いところであり、怖ろしいところでもある。

Googleは、みんなを平等に扱う。
例えば、Googleが来る前にには人々の間に格差があったとする。
格差というのは多くの場合べき乗分布を示すので、8:2の法則とかあるように、
当然いい思いしていない人の方が多い。
そこにGoogleは平滑化を行う。
今まで自分の立ち位置に不満があった人にとっては状況は改善されたように思える。
Google様々である。Googleは万人を平等に扱う。
「ただし、俺(Google)以外ね」
Googleは万人を平等に扱ってあげる代わりに、自分を神にする。
もちろん俺は新世界の神になる!なんて言わない。
Google?誰それ?と言わんばかりに自分の存在感を消しに回る。

Googleの何が凄いかって言えばアンチの少なさだろう。
Microsoft、Apple、Yahoo、Myspace、Facebook、みんな自分を前面に出しすぎる。
Googleのように、俺はおまいらの味方だよ、とささやき続けることができていない。
下々を威圧してはならないのだ。

Analyticsのデータが検索順位に反映されている、というレポートを見た。
本当かどうかはわからない。
けど本当だったとしても、受け入れる人が多い。
それは俺たちのためになるんだよね、だったらいいことじゃないか!
もちろん間違っちゃいない。
Googleがやろうとしていることは世界征服だ。
良くないことと言っているわけじゃない。
ただ、非常に巧妙な方法で、自らの利益を最大化しようとしていることだけは確かだ。
Googleは慈善団体じゃない。妙に賢くって野望たっぷりではあるけど、ふつうの企業である。