2007年3月アーカイブ
生まれてくる人がいれば死んでいく人がいて
食べるものがいれば食べられるものがいて
得るものがあるということは捨てられるものがあるということで
出会いがあるということは別れがあるということである
人は成長し老いて死にゆくものだから、
その過程の中で新しい命に夢を託し平和を託し
季節は移り変わってゆくものだから
夏が切なく秋が幸せで冬が暖かく春が綺麗なのだ
このような螺旋が描かれているのを見るととそれは完成されたシステムのように感じてしまい
その神秘を疑うことは驕りなのかもしれないとか勝手にそういうことにして
問いを遡って突き詰めることをしないことの正当性を自分自身に言い聞かせる
おそらく螺旋を見ると人の本能があきらめを肯定するのであろう
やめておけ、無駄なことをするなと、遺伝子に刻まれた歴史が主張を始めるのであろうか
変わっているように見えて変わっていないのか、
変わっていないように見えて変わっているのか
同じ事象を観測しているのに男はダメだ変わっていないと焦り
女はなぜ変わってしまったのかと嘆くのだ
でもどう足掻いたって僕らは春を越え夏を乗り切り秋を過ごし冬を迎えた後、終わるんだ
そして、次の春がはじまるんだ
常々思うのだが何故資料を作るのかと言えば
それは情報伝達のためであって
資料単体で完結するものではない
故に資料を完成させることが目的化してはいけない
何かを誰かに伝えたいのだ
どうやって伝えるのか、言葉を話して聴いてもらって伝えるのだ
であれば本来紙や電子データとして目に見えるかたちにする必要はない
話し手にとって全てを口で表現するのは困難であり
聞き手にとって全てを耳で知り理解するのは困難だからである
会議資料、営業資料、といったものは話し手の口をバックアップするためのものである
どういったバックアップが必要なのかは話し手が一番知っている
どういったバックアップが最適なのかは話し手が一番理解している
従って最終的な伝達のための資料、特にその内容については
話し手自身が作るべきである
というのが私の持論である
もちろん資料に必要なデータやグラフ、最終的な資料の素となる文章や
デザイン、画像などは他人に依頼しても良いと思う
しかし言い回しだとか話の流れ順番だとか、そういった部分は
個人の好みや今までのやり方に多分に影響されるものなので、
話し手自身が作り込むべきである
自分が話しやすい資料とは即ち良い資料である
誰だって自分が困るようなことはしたくないので
自分が話すのであれば良い資料を作る
責任範囲をはっきりさせるという意味もある
発表者=資料になれば
資料が糞だからまともな発表ができなかったと言うこともなくなれば
良い資料を台無しにしやがったと言うこともなくなる
できるだけ仕事を独立化できたらいいと思う
独立化すれば効率は落ちるが、モチベーションは上がるはずだ
目的を達成する上で一番の強さは継続力だと私は思ってます。
そして二番目に大事なのが行動力ではないかと。
行動力ってのは始める力、変える意志。
継続力は続ける力、変えない意志。
で、自分には継続は無理だなと感じてます。
あきらめるようなことじゃないんだけど、
無理して継続するよりは、無理せず行動することが
自分的には自然な気がするのです。
継続できなくても行動力でカバーできたらいいんじゃないかな。
ということでこれからは行動力を意識していこうと思ってます。
例えばさ、サイトをガンガン立ち上げるの。
で、いつでもこのサイト売りますよ、て公言しておいて、
儲かってないときは安くして、儲かってるときは高く売るの。
どうしようもなくなったらサイトごと捨てちゃうの。
そうやって自社媒体、自社製品というかたちで持ち続けるんじゃなくて
売るためにサイトを作っていくわけ。
サイトっていうかビジネスモデル自体を製品化するわけ。
でひたすら流動的にサイクルを回して、
ビジネスモデルをブランド化したい。とか妄想。
これだったらぜったい飽きないw
うわそういうのやりてー
誰かにリセットボタンを押されてしまったら
自分だったらどうなるのかなぁ。
あまりにも痛々しい現実を目にしても、
心のどこかで羨んでるなんてきもちわるい。
リセットボタンを自分で押せるひとって、
強いってことなのかなぁ。
守るモノがないってことなのかなぁ。
あるいは執着がないのかなぁ。
ふつうの人間は押せないよ。
溜め込んで溜め込んで電源ぶち抜くひとはいるけど、
なんでリセットできないのだろう。
ひとつひとつ自分の持っているモノを改めて眺めてみると、
別に消えたら消えたでかまわない。
その程度のモノばかりなんだけどなぁ。
自分で捨てる勇気はないんだね。
誰かに燃やして欲しいんだね。
持とうとすることはいいことなのか。
いっぱい持てばそれだけ捨てられないモノが増える。
それだけ悩みの種が増える。
ほんとうに考えなきゃいけないことに頭が回らなくなる。
わかっているはずなのに、ときどき気付くのに、
また明日になれば社会に溶けていく。
持つことが成功なんだ、持ってない奴は負けなんだと、
そんな洗脳に侵されて、また当分帰って来れなくなる。
やれやれだぜ。
無人島に行きたい。
砂漠の真ん中でもいいや。
情報化社会と、資本主義経済が職人を殺していると思うんです。
人間は自分にとって有益な情報を常に求めていますね。
何をすれば利益になり何をすれば損益になるのかって。
つまりプログラマーになってどんだけの利益になるのか、
この仕事続けて将来自分どうなんのよって考えますよね。
アニメーターになってどんだけの利益があるのか、調べますね。
いくら好きって言ったってさ、これやれって言われてその通りやるのは
あんまり面白そうには思えないですよね。
そういう現実とかよくわかるようになっちゃったのは
マスコミのおかげだしインターネットのおかげだし情報化の流れなんですよね。
そういう現実見てたらさ、あるいは自分の将来想像してみたらさ、
例え絵を描いてるのが楽しくっても、どうかなって思うよね。
実際、何人の人間が専門学校通ってて、
そのうち何割がその仕事にありつけて、
そのうち何割が満足してるの夢実現してるのって
ちょっと考えてみりゃ非合理的な賭だって気付く罠。
それでも強い意志でもって貫くのは格好良いし、
それだけの自信があるならすばらしいと思います。
けど逃げてるだけだったりもするよね。残念ながら。
ポータブルスキルと呼ばれているものがあります。
どんな仕事でも通用する能力のことです。
コミュニケーション能力だとかリーダーシップとか、
タスクマネージメントとかそういうのです。
資本主義社会にあってもう確立されちゃってる技術です。
クリエイター職は営業なり経理なりマーケなりよりも人気あります。
が、待遇は良くない。実際道具のように交換可能な部品として見られてたりします。
今の時代、職人は末端なのです。ええ私も吐き気がします。
そもそも甘いと、下積み10年20年はあたり前じゃないかと、いう見方もあります。
それに耐えられるなら別段問題はありません。
でも変化する経済社会、変化する人間関係、高速化するビジネス、
振り回されて振り落とされて残るものは何か。
現代の職人に必要とされるものは、
忍耐力とプロモーション力と思います。
でもそんなん学生の時は全然見えないし、見ようとしないだろうし。
日本人には職人気質が多いらしいのでけっこう大きな問題です。
関連検索とは検索エンジンの検索結果ページに、
より限定的な検索結果へのリンクを貼る機能のことです。
Yahoo、Google、MSNともにサポートしています。
Yahooはユーザによる検索クエリーを解析してるのに対し、
Googleは検索結果のインデックスを解析しているという違いがあるらしい。
どっちが便利かと言えば、Yahooだろうなぁ。
GoogleはYahooの真似がしたくなかっただけじゃなかろうか。
見た目もGoogleが一番ダサイ。
いろんな意味で押したくならない気がする。
アクセス解析していると、関連検索の重要性が非常によくわかります。
特にYahooでは、ビッグワードの関連検索に表示されると、かなりアクセスが稼げます。
これはYahooの関連検索の配置場所やデザイン、ワード自体のためもありますが、
それに加えてYahooユーザ層は受動的なタイプが多いためと考えられます。
情報の発信側からアプローチする(要は広告)場合には、GoogleよりYahooなのです。
この前、Yahooの関連検索のアルゴリズムが変更されたというアナウンスがありましたが、
あれによってとあるワードの流入数が激減し、別のワードの流入数が激増しました。
また、アルゴリズムの変更がなくてもけっこう頻繁に候補は入れ替わります。
これをリアルタイムにチェックしつつ、SEO、SEM対策を施すことによって
確実にアクセス数は向上するでしょう。
とはいえそんな時間があるのは検索エンジンの専任者がいるようなところだけでしょうけどね。
つまりSEO会社やリスティング代理店はこの辺をトータルで
やってくれるととってもありがたみが増すと思われます。
しかしSEOは時間経過がけっこう重要なファクターなので
臨機応変にコロコロ変えてみてもタイミングはずれるし、
ワードの歴史は短いまんまだし、で役に立たないかもしれません。
コンテンツは動的に変えていく時代になりつつあるのかなぁという気はします。
検索クエリに合わせていじりまくってたら意味不明な内容になってたりとか、出てきそう。
内部コンテンツの場合には外部リンクとは逆に更新かけた方が
生きている情報と見られるために有利なようです。
関連検索は検索の仕方を知らない人に、
徐々に効いてくるのではないかなと考えています。
こうやって検索するのか、というのが一目でわかるわけですから。
その意味でもYahoo方式の方がいいですね。
今までも何度かMTの管理画面開いて数行入力してみたことはあったのだけれど、
なーんも身のない話ばかりで、これを見せる意味は果たしてあるのかと考えてしまうと、
どうしても×ボタンを押してしまいたくなるのです。
書くネタならそこそこあるけど、書いてどうするんだろう、みたいな。
書くのって時間かかるし。特に人に見られることを意識するとね。
どうしたいの?という問いに対して答えたくても答えられないというか。
書くだけでいいとは思うんですけどね。その後どうこうとかでなく。
でも何故か時間割く気になれないんだなぁ最近。
まぁ私は飽きっぽいというか、何事も続けることができないのです。
つまりやらないを続けることもできないわけで、そのうちやるんですけどね。
最近、読書をはじめました。半年ぶりくらいに。
数えるのも怖ろしいくらいに読んでませんでした。
それでも何かはしているわけで、あれをやめてこれをやって、
今度はこっちをまたはじめてその代わりにあっちはやめて・・・
そんな繰り返しで時間が過ぎていく。いいのかなぁこんなんで。
続ける力が一番の強さなんだと思うのです。
続けるからプロになれるのではないだろうか。
この年になるまで気づかなかったとても重要なことがあります。
同じことをただ繰り返すこと。
私は冗長なのがとても嫌いなので、
繰り返すことを可能な限り避けて生きてきました。
繰り返すことで体に憶えさせる、というのがわからなかった。
わからないふりをしていただけなのかもしれない。
繰り返し繰り返しひたすら繰り返せば考える必要がなくなる。
考える前に体が動く。
今思えば、考えるのが好きなのは、繰り返すのが嫌いだからなのだなぁ。
でもいちいち考えてたら時間がかかってしようがない。
スピードとか確実性とか考えたら、
一回一回考えてる方が無駄なのです。
脳の意識的な部分、特に言語領域を過信しすぎるのはよくない。
言語化できない部分に染み込ませた方が全然楽なのです。
そもそもすべてのことが言語化できるわけでもないですし。
ああなんかまだいろいろ消化不良だけど今日はこの辺で。
