2004年6月アーカイブ

名もなき関数

| | コメント(2)

C言語では名前がない関数はない。
VBでも、C++でも、Javaでも、関数には必ず名前がある。
これらの言語は企業や学校で非常によく使われている。
これら以外の言語を使ったことがないプログラマは多い。

思考の出力

| | コメント(2)

コンピュータはデータを入力されると、処理してから出力する。
人間の思考活動も、入力、処理、出力と大まかに3つに分けられる。

入力活動には、
 ・本を読むこと
 ・TVを見ること
 ・他人の話を聞くこと
などがある。
目で見たり耳で聴いたりといった、感覚的な受動的な活動である。

出力活動には、
 ・文章を書くこと
 ・絵を描くこと
 ・他人に話すこと
などがある。
口で喋ったり手で書いたり、何かを表現したり作り出す、
といった能動的な活動である。

そして入力活動と出力活動の間を繋ぐのが処理活動である。
処理は脳で行われる。
入力された情報を元に、分解したり加工したり結合したりする。
そして、処理の結果新しく生まれた、再構築された情報を人は出力する。

私は入力、処理、出力がバランス良く行われることが望ましいと考えている。
もちろん最適なバランスなどわかるはずもないが、
入力しかしない、処理しかしない、では良くないと思う。
適度に入力し、適度に処理し、適度に出力したい。

人によってどの活動が難しいかは異なると思う。
私にとって断トツで難しいのは、出力だ。
本当に難しい。膨大なエネルギーを必要とする。
勝手な想像ではあるが、私以外の多くの人にとっても出力が難しいのではないだろうか。
出力がスムーズに行える人間は尊敬されるし、とても希少だ。

例え膨大なエネルギーを要したとしても、出力は行う価値のある活動である。
もちろん他の活動、入力と処理が出力より価値が劣っているというわけではない。
出力は能動的であるから、意識していないと疎かになりがちなのだ。
出力活動は精神的、技術的な成長を促すので、一個人として閉じていたとしても利益があるが、
他人との接触部分にあるという点で、他の活動にはない重要性がある。

自分を知ってもらいたい場合、自分を理解してもらいたい場合、
出力が必要になってくるからだ。
他者に見えるのは出力だけなのだ。
内部でどんな複雑な処理をしていても、それはわからない。
ヒトのココロはブラックボックスだ。
表現してくれなければ何も見えない。

出力ができる人間は所謂成功を収めるだろう。
人は自分以外の誰かに理解されたいという願望を抱く。
出力無くしてその望みを満すのは不可能だ。